Havana

ハバナ、ここは僕にとって特別な場所だ。それまでずっと中米、南米には興味があり、その理由は、若き日のチェゲバラの南米旅行記を綴った書籍”モーターサイクルダイアリーズ”のような、中米から南米までの旅をした親友にいつもその旅のことを熱弁されていたことや、昔母親に買ってもらって読んだ写真家の南米についてのエッセー本など、全く日本にはないものが溢れる魅惑の土地という印象もあり、それにキューバに関しては、アメリカとの国交正常化が行われるという歴史的なタイミングということもあり、迷わずキューバ行きを決断をしたのだ。

便利で住みよい国NIPPONに住む我々からすれば、キューバを体感することについて最初は面食らってしまう人は多いのではないだろうか。それほど多くのギャップがあるということだ。例えば、水を買い忘れたら困ってしまうほど、近くに売っていないだとか、基本的にインターネットが特定の場所でしか使えないだとか、クレジットカードが使えるところはほぼないだとか、よく停電にもなるだとか、その他にも細かな不便と思うことは山のようにある。それはこの国の革命家たちの共産思想のもと選択されてきた決断によって成り立った結果であり、だからこそこの国には強み弱み両方とも持っているのだと思う。

多くのものはこの街にはない、そして不便だ。しかし我々が当たり前のようになってしまっている生活習慣や金銭感覚、時間感覚、そういった知らず知らずに染み付いてしまった日常の意識に対し、本当の豊かさとはもしかしたらこうなんじゃないかと、ハッと立ち止まらせてくれるようなことをこの街は提示してくれたように感じる。

1日の始まりは、借りていたアパートの目の前の大量の鶏が鳴くこと、その大きな鳴き声が僕の目を覚まさせ、部屋に向かって叫ぶアシスタントの声が撮影スタートの合図。 灼熱の中街を歩き回り、キューバは二重通貨という制度があるが(ツーリストが使えるお金と地元民が使うお金が分かれている)、キューバ人民ペソでしか使えない、100円くらいのプレートを食べる。だいたいがバナナをスライスしたフライと生のアボガドとライスと鳥か豚の煮込みかステーキ(これは本当にうまい)を食べ、だいたい17時ぐらいに撮影を終え、乗り合いタクシーを使って宿の近くに降り、露店の酒屋でキンキンに冷えたCRYSTALというビールを買い、アパートに帰るまでの間、必ず同じ場所、同じ時間座っているおじさんにオラッと挨拶をし、家の前で戯れているおじさんおばさんに、チーカチーカ(女性の意味ではあるが、とくにこの言葉をツーリストに言う場合は売春のこと)と誘ってくるのをあしらいながら帰宅し、パスタかスープなどを作って、冷凍庫の中に入っているキューバラムをトゥコーラという本家コカコーラのバッタモンで割って、22時頃には周りの静けさとともに眠りにつく、もしくはマレコン通りまで歩き、海沿いの防波堤に座り、海を眺めミュージシャンが奏でるサルサと、パックに入っているラムをチューチュー吸い、売る気のないハマキ売りからぼったくられながら買ったハマキを吸うということ。大体の日常がこのような1日だった。

その生活が新鮮だった。 僕は街を歩く時は路地を歩くのが好きなのだが、キューバほど道や路地に人が溢れていたことはなかったし、誰がどこの家の子であるとか、ここからここまでがうちの敷地だというような隔ては感じられず、ストリート自体が皆の家で、皆で共有していた。家の中での娯楽がそこまで多くないということもあるだろうが、ベランダや家の前の石段には必ず誰かが座っていて、通る人をじーっと見つめていて最初は少し怖さもあったが、それも徐々に薄れ、むしろ逆に守られているような気にさえなるほどであった。

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日本にいたら1日誰かと話さずに楽しく過ごす方法はいくらでもある。動かなくても世界と繋がれて、食品、生活用品や娯楽に至る様々なものが簡単に手に入る。むしろいかに他者とかかわらずにハッピーに生きれるかといったアイテムやコンテンツが多く、バーチャルなものに価値が生まれたことで、生身の人間同士のコミュニケーションから離れていくという現象が起こっているからだろう。

ここキューバでは人と直に繋がらずに1日を過ごすのは逆に難しいのではないかと感じるほど、人を強く感じた。撮影に関しては最初、軍事施設はぜったい撮影できないとか大きなカメラでスナップを撮るのは難しいんじゃないかと言われていたが、それも全く問題はなかったし、むしろ好意的だった。                                多くのものはなく不便で、人々はそんなに裕福ではないが、多くのものがあるという不便さもあるんだということをこの街から教わったし、豊かさの形を改めて考えさせられた。 

今回の旅の中ではインターネット世代の若者達はやはり多くの情報が入ってくるせいか、どんどん変わっていくことに対し野心的だった。ブエナビスタソシアルクラブなどは観光客向けの古いものとなり、レゲトンやヒップホップ(トラップ系などすら)といった外から入ってくる音楽も多く聞こえてきた。この世代が次に繋げていく。都市が変わっていくことには素晴らしいことだと思うが、資本主義社会にいる立場からすると、これから少しづつアメリカがキューバという場所に色々なものを発展させていったその先にあるものは、どうしてもいい未来を想像できないと思ってしまうのは、現地の人たちからは勝手な意見ととられてしまうだろうか。。この街を訪れた時から、10〜15年後のハバナにもう一度訪れたいと思っている。その時のキューバの姿が、世界の未来を表しているんじゃないかと妄想する