TOKYO

トーキョー

大学時代にもジオラママップシリーズで、東京の作品を作り、卒業後すぐにもう一度作った。

その後2014年に更にもう一度作ることとなる。東京はいつも僕に違った印象を与える。

街が本当に魅力的だからだ。

ではその魅力とはなんなのか?

そこまで惹きつけているものは何なのか?

他の都市と比べて大きく違う点はなんなのか? 

など、多くの都市を歩きながら東京の特異性についていつも考えているが、まだ輪郭を捉えたばかりで、なかなか中心へと進むことができない。おそらくこの問いが僕の気持ちを高ぶらせるのかもしれない。

輪郭として分かっていることは、やはり東京の中心の存在だ。つまり皇居だ。天皇の住居、皇居。皇居を円状にして囲むように山手線があり、その円の真ん中に日本の象徴、かつその象徴が内包している霊的な空間があることが他の都市と違うことのひとつだ。

東京の都市が変化を続け、急激に変容しているという印象をいつも我々に与えるが、そこには、例えば川にある大きな石を想像してみるとわかるように、大きく動かない石が鎮座すればするほど、その周縁の水流が早くなるように、中心にある皇居の存在が、東京に暮らす人、いや日本人にとって皇居という”動かないもの”としてそこにあるということが、都市の速度との関係を反映しているようにみえてならない。

都市伝説として語られている、皇居を守るため、山手線が結界代わりとなっているという説はあるが、それを信じるか信じないかはどうであれ、確かに山手線と中央線の形は太極図をイメージしている。

800年前に京都から江戸へ都が移った時に陰陽を意識していたのか、少なくとも僕は地理学的な意味での、各エリアの空気、雰囲気の違いなどを、歩き、移動することで感じとれた。歩いていて好きな場所嫌いな場所がはっきり分かれる。奇妙な空気感を感じる場所を後から調べると、複雑な背景や、悍ましい事件が起こっていた事実が分かったことがあったからだ。その土地の霊的なものが、東京という都市の全てを表してるとは言わない。ただ僕は東京の撮影をしている時、兵庫県の実家から夜行バスに乗り通いながら東京を撮影していた。早朝に東京駅に着いて、毎回皇居の周りを散歩し、皇居の周縁を走るランナーがなぜこんなにも多いのか、彼らはどこから来ているのか不思議に思いながら(今でも不思議な光景にみえてしまう、それはあまり皇居の周りに人々の生活の匂いがしないから…)、皇居をスタート地点として撮影が始まっていた。その始まりの場所の、”静”という空間から、”動”という空間へとグラデーションに入っていく体験が、東京という都市の特異性を私の身体が敏感に感じとっていたのかもしれない。

2004年に制作された作品を見た多くの人から顔に見えるという感想をもらい、まったくそんなことは考えてはなかったのだが、毎回訪れるたびに東京が僕に見せてくれる顔が違うということが、もしかしたら東京というものを、有機的な人格を持った一人の人間として捉えているからなのかもしれないと気づかせてくれる。そしてその10年後に作った東京の作品にも、不思議と同じような”顔が宿る”現象が起こっている。今後の東京の姿を自分がどのように歩き見るのか、これからも継続していくことになるだろうが、東京の街に限ってはなぜか撮らされているようにも感じている、そして東京を歩いていると、東京はいつも僕に変化を求めているように思う。

トーキョウ トーキョウ トーキョウ 

頭の中で反響していて心地いい。。