東海道を歩く2

日本橋を発ち約2週間、現在浜松にいる。距離で言うと約250キロ地点。東京と京都を結ぶ移動手段である東海道という道を歩き写真を撮っている。江戸時代の人々の旅の風景を描いた歌川広重の五十三次の現代の姿というものを写真に残しておきたいという思いがあり日本橋に立ち、京都を目指してきた。朝6時に目が覚め、朝食をとりストレッチをした上で7時過ぎに目的地に向かい歩き始める。たんたんと歩く、それだけだ。目的地は基本的に広重が描いたであろう場所を探す。浮世絵の中の世界を見ながら目的地を探すのは少々困難で、各宿には立て札が立ててあるのだがそれが示す場所と浮き世の中に描かれている風景とのギャップが大きく、ほとんどの場所が185年前の風景とは違う。当たり前だが街の規模も景観も大きく変化している。分かってはいたがその場所にやはり風情がないことに何とも言えない複雑あ気持ちになる。 東海道という道は今や人が歩く道としてよりも、車の移動手段であるということを排気ガスを大量に吸い込み、トラックにひかれそうになることで実感する。まぁそれだけではないし、実際素晴らしい風景に出会っていて、ただただ悲観しているわけではないが、昔は宿々によって特色があることで、景色が変わり歩く幸せを多く得られたんだろうと想像せざるをえない。 人によっては浮世絵と今の場所を比べて「今はここまで成長した」と考える人もいるかもしれないが、大抵は「昔はよかった」という語り口になる。東海道に関わらず、都市、街、集落など人が存在する多くの環境で皆が使う言葉だ。浮世絵には誇張し美しくデフォルメするという特徴があり鑑賞者にはその認識はあるが、しかし人々は広重の浮世絵を見て、そこに描かれている風景が現実にあったと思い込みたいという願望がある。つまり幻想が好きなのだろう。そうイメージすることが現実の風景に対する不満などを解消する方法になっているのかもしれない。昔に対し優しい心情ということなのか、江戸時代の人達も同じように、「昔は良かったなぁ」とお茶屋の前で団子を食べながら目の前に広がる景観を悲観していたのか?それを想像するのは難しい。現実の風景または現実の社会に対しての批判が少なからず表れているのかと思う。それは歩く中で否応にも目に飛び込んでくるものが原因かもしれない。同じチェーン店の看板、続く電線、車やトラック、堅いアスファルト、同じ色のガードレールなどなど。 ひとつの大きな道路沿いに何度も見たような風景がドッペルゲンガーのように続く風景に対し、特定の場所の記憶が薄らいでいるというのが現代人にとっての風景認識の特徴なのかもしれない。車で通る国道の風景は記憶に残らない、それが今の東海道を歩くものの感じたところだ。普段の生活の中では目的地に着くまでどのルートで行くのが最短か、といういわば情報システムにコントロールされた時間感覚が頭に定着しているが、車で5分のところに徒歩で1時間かかるということを頭と体で体感することで見えてくる違いを発見出来ると思うので、それを歩くという原始的なプロセスを用いて写真に記録していければと思っている。

現在、過去の風景を対比を捉えることと歩く事とは、一見意味が無いのでは?と思われるかもしれないが、宿を一日ごと西に移動しながら富士山の大きさが徐々に大きくなってくる感覚や、厳しい峠を越えたところにある甘酒の味に感動したことを知れたことは、歩くという体感を通して江戸時代の人々の心情に少しでも近づけたように感じる。京都まではまだまだ長い道のりではあるが、今の東海道を歩くということで何を感じ何をが見えてくるのか楽しみたい。