Johannesburg

今すぐにでも行きたい街はどこかと聞かれると、一番最初に頭に出てくるのはヨハネスブルグであろう。

確か着いて5日目に強盗にあった。ヨハネスブルグの一番の中心のMerble Towersという人通りの多いオフィスビルの前で白昼堂々にだ。僕は今だに後ろから走ってくる人が怖い、それが子供だとしても。。トラウマというやつだ。事件に遭った時、僕は赤いパンツを履いていた。彼ら7人〜8人は僕の鞄の中のカメラや携帯など全てを奪っていき、それでは満足せず、履いていたジーパンまでも奪おうとした。途中まで脱がされたところで僕は冷静に、この後赤いパンツで街を歩くのは恥ずかしいと思い、抵抗しなんとか死守した。恐いという感情ももちろんあったが、それよりもヨハネスブルグにきたんだなぁと、じめっと出た汗とともに感じた。その後もずっと自分はイージーターゲットなんだという意識を持ち、一人で歩く時は20歩歩くと後ろを振り返るというようにしていたがその後は大きなトラブルには遭わなかった。

そしてなぜ僕はこのような目にあうのか、その背景には何があるのか、この街の洗礼はなかなか厳しいものではあったが、それをきっかけに多くのことを学んだ。街が大きく変化した背景には、アパルトヘイトによって混乱し秩序を失ってしまった都市があり、ヨーロッパから渡ってきた白人達がアパルトヘイト解放後に都市から郊外へ移り、その影響により中心地が空洞化し野心的な国外のアフリカ人達が増え犯罪が生まれ、そこから多くの負が連鎖し、様々な腐敗が生まれた。 

ここまで読んでなぜ行きたい街なんだと思うかもしれないが、なんとも言葉にできない感情でがこみあげてくるのは紛れもない事実だ。高校生の時にhipHopやレゲェやパンクといったレベルミュージックにショックを受け、その時に知った奴隷制度というもの。旅を続ける中で、日本人であることがマイノリティと感じることが多くあるが、僕は日本人がどういう種族でどこからきたのかということに興味が湧いてきた背景には、専門的にまではいかないが、思春期に黒い肌の人のことを意識することが多くなり、音楽や映画に関わらず歴史、宗教に至るまでを注視し、なぜ人種によって隔たりがありなぜ世界は平等にいかないのかということを考えてきたことがきっかけとしてあるように感じる。そのような意味では複雑な背景の中、成長し新たな文化を作り出そうとしている凄まじいエネルギーを持つヨハネスブルグという都市の今を、今回はいつものように歩きながらではなく、自転車に乗りながら、街をくまなく移動し体感できたと思っている。

そのエネルギーを象徴しているものはやはり音楽に証明される。ハウスミュージックだ。なぜここまで街中のいたるところでハウスミュージックが流れているのか、お年寄りから子供までハウスがかかると軽快なステップで踊りだす。僕はそれを最初不思議な光景に映った。日本で考えると、街中に演歌がかかると老若男女一緒に歌い踊るということはまずないし、だいたいは世代によって趣向が違うものだ。しかしここでは爆発的にハウスミュージックが人気だ。現地の人に聞くと、アパルトヘイトという制度の最中、人権を持たされない多く人々には音楽を聴くことが許されておらず、しかしその制度が1994年にマンデラの大統領誕生と共に廃止され、当時ヨーロッパなどから音楽文化を持ってきた人たちがラジオでハウスミュージックを流し、その4つ打ちのビートの高揚感を感じるテンポと心臓の鼓動のような胸への響きが、長らく鬱憤の溜まりに溜まっていた黒人の人々の心をロックし、ハウスミュージックという聞いたことのない新しい音楽と、解放されたという喜びの気持ちが完全に一致し、そこから一気に大爆発したということだそうだ。

電子音楽を取り入れつつ、アフリカの伝統的な民族音楽がエッセンスされた心地よいサウンドは素晴らしい。彼らの音の取り方も同じ人間かと疑いたくなるほど素晴らしい、生まれた時からダンサーのライセンスは持っているんじゃないかといつも思うそしてヨハネスブルグでは、ハウスミュージックに限らず多くのミュージシャンの歌を聴いた。今まで生きてきて音楽で涙が溢れてくるという経験は多くはなかったが、そこでは何度泣いたかというぐらい泣きじゃくった。それは勝手な個人的な思いを投下しているだけなのかもしれないが、彼らと音楽で繋がっていると不思議とずっと大きなものに包み込まれているような安心感があり、それが心地よく、僕はよく音楽を聴きにクラブや野外フェスなどに行った。。SOWETOという郊外のタウンシップ(アパルトヘイト時代隔離された場所の呼び名)やアシスタントの故郷であるオレンジファームという日本人を見たこともないような村にもなんども足を運び、珍しがられながらも地元の人たちと触れ合った経験は忘れられないものとなった。この文章を書いている僕のアトリエにはヨハネスブルグから来た友達がいるが、彼はハウスミュージックが流れると故郷を思い出すかのように軽快に踊りだす。