端的にいうと、デリーでの滞在1ヶ月強で体重が9キロ減量した。
ダイエット目的ではない。おなかを下したためだ。今回のこの洗礼は度がすぎまっせ、と言いたい。しかしこの食あたりがこの街を表している。この街となかなかうまくコミュニケーションができなかった。。撮影においては出会う人出会う人に違った情報を伝えられることが多く、無駄足を運んだ影響で、炎天下の中エネルギーぎれ、生水は飲めない、熱中症、立ち止まろうものんならリキシャの僕を取り合いが始まる。そして爆弾が明日この街に投下されるから違う街に行こうという嘘っぱちにも程がある偽旅行ツアー斡旋人にはひつこく呼び止められ、こんなことが毎分続いた。カレーは最高にうまい、思い出すだけでも腹が鳴る、しかしそれを食べて宿に帰ると熱が出てくる。緑のウンチがでる。。どないなっとんねん。
このテキストを書いていると吐きそうになってくる。。それほどデリーという街を歩くということは容易なことではなかった。。 しかしぼくはそれをしにいった。なのでこれを見て旅行をやめるということはしないでほしい。多くの旅行客はもう少し選んで街を歩いている。僕がアホなだけ、この都市に殴られに行ったのだ。しかしここまでタコ殴りの目に遭うとはおもわなかった。
宿はデリーの市内から少し離れた自然のある場所だった。そこだけが唯一のオアシスで、部屋から出ることができず、くたばっている時も宿の若いスタッフ達がご飯を作ってくれたり、洗濯物を綺麗にたたんでくれ、英語でのコミュニケーションはできないまでも頑張って思いを伝えてくれたりて、本当に信用ができた。撮影は現地のロシア大使館に勤めるロシア人と、現地の敬虔なイスラム教のインド人の2人を使い分け、現地の人でも入れないような場所に交渉をしてくれたり、穴という穴を必死に押さえながら撮影をした。成田空港に着いた時に自分の首が細くなっていることに気づき、梅うどんも半分も胃に入らなかったが、しかし達成感はあった。
それはボロボロになりながらデリーという街を身体全体で体感できたという感触があったからだ。これで解放された。家に戻りフィルムを現像すると、驚くことがあった。一本のフィルムにあの宿のスタッフ3人が写っていた。しかもその全てがお互いのふざけあった顔や僕の布団で遊んだりしている写真であった。その日僕はまたお腹を下し、うなされた。。
以前のブログで書いたものが、帰国後すぐに書いたものなので臨場感があるのでそちらもそのまま掲載しておく。
インド、デリーでの撮影を終え帰国した。壮絶だったということをどう表そうか…、色々あり過ぎて、何をピックアップするべきか迷う。まずインドから日本に帰国前に見た夢をご紹介します。街中40℃近い暑さの中、体力が無い状況で追い打ちをかけられるかのように食中毒で倒れてしまい意識朦朧とした中で見た夢だ。(今でも瞼を閉じるとその光景がくっきりでてくる)割愛しながら。。。
"高校三年の生ハムが、団地裏の駐車場に高校二年の生ハムを呼び出し、ヤキをいれるという話だ。さぁいざ団地裏でいよいよ決闘するということになって、二人が殴り合うがそれがもうぐずぐずもぐずぐずで、、それもそのはず、両者の生ハム(イメージは、いわいるスーパーなどに置いてある薄切りの6枚ぐらい重なったやつが立っている感じ)に力がまったく無く、ただただずっと絡み合うといった感じ。間の細かいことはうろ覚えだがそのもっちゃりした格闘が長いこと続き、最終的に二年の生ハムが三年の生ハムの脂身の部分を全てはぎ取って勝負あり。三年の生ハムは大事な部分を取られ恥ずかしそうに泣きじゃくる。泣くことで塩分も流れ旨味が無くなっていく。勝利した二年の生ハムは脂身の部分をカラスに投げる。夕焼けが紫。"そんな夢。。
話として聞くとなんとなく面白いけど、これを夢で見るとしんどい。特に力の無い者同士の決定打のない攻撃が永遠と続くというところ。うなされるわと。。すいません今日皆さんの夢にでたら。)
あーこわっ